ワンナイトラブから見る、最高のSEX vol.1

 

どうも、こんばんわ。

Kouです。

 

 

ワンナイトラブ、みなさんも一度は経験あるんじゃないでしょうか?

 

 

ナンパ用語で“即”っていう言葉があるんですけど、それに当たるやつですね。

即席セックスの即なんだとか。

 

 

男は「おっしゃー!Hできた!」ってなるし、

女は「自分が軽率で愚かだった…。」ってなることでお馴染みなやつでもありますね。

 

 

ただね、ぼくは思うんです。

「ワンナイトラブ自体は悪くないでしょ?」って。

 

 

それに対して自分がどんな意識を持って一夜を過ごしたのかってのが本質的には大事で、つまり、ただのオスメスの勢いでことに走ったのか、その人に特別な思いがあってネオン街へ移ったのか、ってことです。

 

 

ぼくはワンナイトラブを推奨しているわけではありませんが、むしろやらんほうがいいとも思ってる派ですが、場合によっては全然ありなことだと思ってます。

 

 

その日に抱かないとこの子を愛したくても二度とチャンスは来ぬやも知れぬ!って思いから少し強引に引っ張っていった結果、今では彼氏彼女になって幸せです、って人も大勢いますしね。

 

 

セックスでは良くも悪くも、自分のことを深く知ってもらえるし、相手のこともより知れる機会であります。

 

言葉を選ばずにいうと、自分の魅力を売り込める機会でもあるわけです。

 

 

 

「ワンナイトラブなんてはしたない。」なんて思われがちですが、ワンナイトラブ、いかにも人間らしいっちゃ人間らしい行為ですよね。

 

欲望、後悔、背徳、愛、嘘、様々なドラマがそこにはあります。

 

 

もちろんぼくにもありました、それなりに。

 

ただ、今日は溜まってるからテキトーに誰かで抜きたいなーって思いでは一度もないですね。

 

 

そんな意識では抱けるのは女の体だけであって、その子の心はどんどん離れていきますからね。

 

翌日LINEブロックになるやつです。

 

 

ぼくは、

その子のことをもっと知りたくて、自分のことももっと知ってほしくて、一期一会の出会いに感謝し目の前の愛おしい子を愛したいゆえにワンナイトラブってました。

 

 

この記事を読むと、

 

女の心を抱くってどういうことなのか?

 

女の中のナンバーワンでありオンリーワンになるために必要なこととは?

 

そんなことが感覚的に掴んでもらえるようになってます。

 

 

そしてせっかくなんでね、今回はいつもとテイストを変えて感情込めてセンチメンタルな感じでノベルチックに書きたいと思います。

 

 

 

 

マッチングアプリ

 

新しい女と遊びたい。

 

 

これは男なら誰しもが思うこと。

 

その思いはもれなくぼくにだってある。

 

 

どうやって女と出会うのか。

 

学校、会社、何かのイベントやコミュニティ。

出会いのきっかけは多いように見えて実際に出会えることは少ない。

 

代わり映えのない日常をただ消費しているだけの生活に、いい女と出会う機会はまずない。

 

 

女と出会うため、ナンパをする人がいる。

ストリートに立ち見知らぬ女性に声をかける。

 

「こんにちは。」

 

周りの視線が気になり動けないナンパ師もいれば、毎日のように女を抱いている凄腕もいる。

 

 

自分のタイプの女をものにするためにナンパをするという考えは合理的であるが、その道は険しくコストも高い。

 

ぼくも以前ストナン(ストリートナンパの略)に明け暮れていたころもあったが、最近は専らネトナン(ネットナンパの略)だ。

 

 

出会い系アプリを使い女性と出会うことをネトナン、と界隈の人は呼ぶ。

 

ストナンと違い、実際に顔を合わせる前に話ができるし、相手のプロフィールで大まかな素性を知れる。

 

出会いを求めている男女が前提だから、シンプルで便利なのだ。

 

 

その上、自分のプロフィールを魅力的に作り上げれば、有り余るくらいの女性と関わることもできる。

 

実にぼくは月に300人の女性と知り合い、選び放題だった。

 

「ネットで出会いを探してる女なんてブスばかりだろ?」始める前はそんな思いもあったが、何をいうか、美人だってごまんといる。

 

 

その中で出会った一人に、さゆり(仮名)がいる。

 

 

写真をみて一目で吸い込まれた。

黒髪のショートヘアーが似合う童顔にレースのセクシーな服装。

 

 

美人、という言葉だけでは足りない。

いかにもモテそうな顔立ちとスタイル。

 

 

しかし自分の美貌を鼻にかけている雰囲気は感じられず、そこらの尻軽とは全く違う気品が漂っている。

 

さゆりの笑顔からは、心が優しく無邪気な少女のような印象を受ける。

 

目が澄んでいる。

 

一方その裏には、その美しさゆえに今までに様々な男と経験してそうな背景も伺える。

 

それでも汚れていない、汚れを知らないような純粋さが彼女からは感じられた。

 

 

「会ってみたい。」

 

そう思うのはぼくだけではなく、さゆりのプロフィールには月に500人以上の男がアプローチしていた。

 

倍率は500倍。

 

会うのはおろか話ができるのも限られた男だけだろう。

 

 

ネットの出会いで期待しすぎることは禁物だが、珍しく惹かれた人だった。

 

他にも女はたくさんいたがどうしても会いたいと思った相手だった。

 

 

もう先客がいるかな。」

 

そう思いながらも捨てきれない期待をしてしまいつつ、いいねを送る。

 

 

時計を見るともう日付が変わろうとしていた。

 

 

 

人気者

 

翌日ケータイをチェックしたが、さゆりからいいねは返ってこなかった。

 

 

しょうがない。

ネトナンではタイミングもある。

 

そう思い、切り替えようとするも未練は残る。

 

 

諦めて別の女性と電話したりアポを取り付けていたりしたが、心は踊っていなかった。

 

マッチングした人たちのトーク一覧には、後回しにしてしまった課題のように未返信が溜まっていく。

 

そこに可愛い人はいくらでもいたが、ビビッと惹かれる人は本当に稀。

 

 

「今度Kouさんとご飯でも行きたいです!」

 

そう女の子から言ってくれることもあったし、会えばホテルに行くこともできた。

 

 

それ自体難しいことではないが、ぼくの腕に包まれ寝ているその女の子に自分の全てを捧げたいと思うことはそうなかった。

 

 

これを聞いて、

「なんやそれ!心抱くとか言っときながら遊んでるだけやんけ!」

って思われたかもしれないが、それは違う。

 

 

 

ニコイチ

 

ぼくにとってHは、お互いが一番深いところで気持ちを伝えあえるコミュニケーションだと思っている。

 

もっと言えば知り合った瞬間からぼくは女の子と心を通わせる意識でいる。

 

 

だから、会う前でも初めて会った時でもベットの上でも、目の前の女の子のことを深く感じようとする。

 

 

この子はどんな思いでぼくと向き合ってくれているのか?

 

この子はどんな価値観を持って生きているのか?

 

 

それがHでは、身も心も裸になることでより繊細に鮮明に伝わってくるし、自分も伝えることができる。

 

そのHを経た結果、これからこの子とずっと一緒に添い遂げたいか、愛し尽くしたいか、自分の心に聞いた時に「違うな。」って思うこともある。

 

Hまでしたのに付き合わないというのは、そういうことだ。

 

 

「会う前に話をしている段階でそれくらいわからないのか?所詮ヤリチンの言い訳だろ?」

 

そう思う気持ちもわかるが、では逆に、顔も合わさずメッセージのやり取りだけでその人の何がわかるというのだろう?

 

プロフィール欄に載っている自己紹介程度の表面的な情報だけでは、その人の根幹にある人間性はほとんど見えない。

 

 

詭弁のように聞こえるかも知れないが、付き合うからには中途半端な気持ちはなしにしたい。

 

自分の気持ちに偽りなく、「絶対あなたがいい」って言いあって全力で愛し合いたい。

 

お互いに「この人を心から大事にしたいです。」って思えないようではまだ付き合うのは早いと思う。

 

だから、SEXもしていない、言わばよく知らない人に向かって「大事にするんで付き合ってください」だなんて無責任なことをぼくは言えない。

 

 

その子のことを思いやっているからこそ、先にSEXをする。

 

 

自分の大事にしたい気持ちに嘘はつけない。

 

これがぼくの価値観である。

 

 

ぼくはもっと深く、黒い部分も含めてその人のことを知りたい。

 

恋人となればなおさら知りたいし、自分のことも侵食されるくらい知ってほしい。

 

知るというよりは感じるという方が近い。

 

そう、感じ尽くし感じ尽くされたいのだ。

 

 

そうしてSEXを通して、二人の境界線が曖昧にドロドロに溶け合う瞬間にまごうことなき一体感を感じる。

 

相手はすでに自分になっているし、自分も相手になっている、そんな感覚。

 

そこまでくると、もう知ってほしいとかじゃなく、知っている。

 

二人で一つの生命体になった時には、互いの思いが、心が、愛がダイレクトに伝わる。

 

SEXでしかたどり着けない関係性の深さはそうして育まれる。

 

 

つまり、お話程度のコミュニケーションで感じ取れることはたかが知れているとぼくは思うのだ。

 

 

ニコイチ。

 

それを胸の内に確かに感じた時、恋は愛に姿を変え、一緒に人生を共有し始める頃合いだと思う。

 

 

 

 

次回、【女心は移りにけりないたづらに】に続く。

 

 

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